大好きな家

内川に架かる新西橋を越中浜往来に向かって進むと
橋上から、大きく空に伸びた松の木が幾本か見える。
杉皮塀に囲まれて、そこは今でも時間が止まっているかのようだ。

橋の上から見るこの風景が好きだ。

昭和50年頃、近所の子供らはよくこの屋敷の外庭で遊んだ。
男の子たちは植木を塁にしてビニールボール野球。
女の子たちは築山でままごとしたり、外庭に面した広間で風船バレーしたり。
また、周囲を囲む堀でザリガニを捕まえたり、おたまじゃくしを捕まえたり。
ほんとうに楽しかった。

子供らの楽園である一方、大人たちの苦悩は常にこの家をどう保持していくかに尽きた。
屋内を歩くと靴下はいつも真っ黒。
本棚の本もすぐに埃っぽくなる。
大きな屋根に落ちた松の枝が瓦の下に入り込んで、やがて堆積物となり天井から落ちてくるのだ。
苦労が多い家だが私はこの家が大好きだった。


この屋敷は安政年間に建築許可が出され完成した。
棟梁は高瀬輔太郎と言われている。大阪城西の丸の修復にあたった名宮大工である。

瓦葺き、杉皮塀に改築されたのは明治後期以降で、当時は板葺きに石置、黒板塀だった。
江戸時代、加賀藩は農民・町民が贅沢するのを嫌い厳しい家作制限をしていたため、
放生津における多くの家が板葺きに石置きの屋根だったようだ。

内川にかかる橋の上から見える放生津の街並み。
この景観をずっと守り続けて行けますように。

もしかするとこの眺めは幕末から変わらない。
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