慰子姫

釘隠しに鶴。
引き手に鶴。
襖を開けてまた鶴。
慰子姫がお暮しになった本間という座敷は、鶴でいっぱいなのです。

慰子さんは文久4年(1864)、加賀藩最後の藩主・前田慶寧公の四女として金沢城でお生まれになりました。高祖母・春(ハル)の母は慰子さんの乳母として雇い入れられ、春は慰子姫とともに金沢城内で育ちます。
やがて訪れた明治維新。
前田慶寧公は東京に赴きますが、立場が不安定だった身の上を案じてお子さま達を方々へお預けになりました。当地にやって来られたのは慰子さんが7歳の時、明治4年のことと伝えられています。
慰子さんはその後、有栖川宮威仁親王妃となられます。

当家でお暮しになった期間は長くはありませんが、
前田家、有栖川家との交流はその後も続きます。
慰子さんにまつわる物語を紹介していきたいと思います。

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