Collection
綿屋の家宝
■麻布
■そろばん
■間縄(けんなわ)
■麻布(あさぬの)
砺波では古くから麻の栽培が盛んで麻布(あさぬの)を織っていました。加賀藩時代には麻布が特産物にもなり集積地が福光だったことから「福光麻布」と呼ばれたそうです。綿屋は天正の大地震(1586年)以後に砺波から放生津にやってきたことがわかっています。この麻布は実際何に使われていたのか、それを知る手立てはあるのでしょうか。
■間縄(けんなわ)
1間(=1.8182メートル)ごとに印が付けられた縄。測量の際に用いられました。新田開発、波除普請の際に使用されたと考えられます。実際、天保年間より綿屋が取り仕切った波除工事は難航を極めました。太田の石を切り出して積石工事を施しても高波がきて全壊、、、ということが毎年のように繰り返されました。
■裃(かみしも)
当時の人はやはり小柄だったんだなという印象。
糊付けされているのか、ハリがあります。
肩衣(かたぎぬ)には秘密が隠されていました。
ハリ感のある肩衣の布の裏には和紙が貼られていました。
さらに、扇状に開いた布端を内側に織り込んだ部分には、薄く平らな竹ひごが入れてありました。元禄年間には鯨ひげを用いたようです。
ピンと張ったカッターシャツの襟のように、ハリのある肩衣が身だしなみの一つだったのかなと考えたりしましたが、ものには流行があるようで、肩を丸くするのが流行った時代もあるそうです。
ちなみに、江戸時代になると武家のしきたりを真似て町人や農民も式日には着用したようですし、公家でも裃が日常着として用いられていたそうです。
船道具
■船の幟
「神速丸」は綿屋の北前船経営の最後まで頑張ってくれた船です。神速丸と、歓喜丸の2隻が綿屋の最後を見届けてくれました。
幟は合計9枚のこされていますが、この「神速丸」の幟はひと際大きく、家紋も染め抜かれ、綿屋の船の中では特別な存在だったことが分かります。
近くの神明社には綿屋「神速丸」の名で狛犬が奉納されています。
■石黒信由考案 軸心磁石盤
これは石黒信由が考案し高岡の金具師が作成したと言われます。石黒信由が考案したものをその通りに再現できる高い技術を高岡の金具師さんが持っていたとも言えます。これは船道具というより測量の際に使用されたものだと考えられます。
■船舶用気圧・温度計 MEIER製
気圧は天候の変化を見極める重要な情報。「能登通い」をしていたという方が、船上にいる間は常に気圧計とにらめっこだったと話してくださいました。
■和磁石(わじしゃく)
船上では位置確認は非常に重要。船員は常に二つ以上携帯していたという話もあります。東西南北と十二支で方向を表しています。
■携帯用 遠眼鏡(とおめがね)
舶来品だろうか、文様がオランダっぽい。
商売
占い
これらは全て占いの道具です。
船の上では危険も多く、また商売上、判断に迫られることも多々ありました。
そのような時には占いに運命を任せたようです。
地図
■石黒信由 加越能三州郡分畧繪図
■安政二年加越能三州地図
■大阪地図(弘化期)
生活
■ 挟み箱
竹かごに紙を貼って黒漆を塗ってあります。
江戸時代に、衣類や手回り品などを入れ、左右に取り付けた金具に棒を通して、従者が担いだということです。
■龕灯(がんどう)
■龕灯(がんどう)
江戸時代の懐中電灯。輪の動きで中のロウソクは常に上を向いて立つ。その場に伏せれば、炎も自然に消えます。進行方向だけを照らし、敵に見つかりにくいという利点が有り、赤穂浪士の討入りの際に使われ、「討入がんどう」とも言われるとか。
木製もあるようですが、これは鉄製でけっこう重いです。
■柄鏡(えかがみ)
柄が付いている丸型の銅鏡。江戸時代に使用されていました。
銅に錫と鉛をまぜたものがメッキされ、よく磨いて使用します。裏面は彫刻が施されていますが、大型のものは結構重く、鏡台に斜めに置いて使用しました。
■ゲーム
遊び方は分かりませんが、花札のような、そんなゲームのような感じがします。
灯り
■洋灯(ようとう)
着物
■打掛 これは明治40年の婚礼衣装です。
※今後も続々掲載していきます!