この写真は高祖母・春の部屋に掛けられていたらしい。
それがいつしか仕舞われて、しばらくはその存在すら知られないまま時が過ぎていた。
誰がどんないきさつでまた掲げるようになったかもわからない。
おそらくは、祖母が部屋の片づけをした折にでも見つけて懐かしんで掛け始めたのだろう。
それだけ時代が流れていたということだ。
写真の説明を。
左から前田利嗣侯爵、渼子(なみこ)さん、朗子(さえこ)利嗣夫人である。
撮影場所は当家の座敷と非常に似ているため、ずっと利嗣公が当地に来られて撮影したものと言われていた。
しかしよく見ると台紙に前田家家紋の梅鉢が印刷されていることから
おそらくは本郷前田邸かもしくは法事などで金沢に帰られた際に成巽閣で撮られ、
記念として拝領したものではないかと私は考えている。
実際、利嗣公は金沢へ法事のたびに帰られ、参勤交代のルートを辿り各地に気さくに立ち寄られている。当地へも何度かお立ち寄りになったことが記録に残る。
さて、この利嗣公の妹君尉子(やすこ)さんが当家にお住まいになられていたことはほとんど知られていない。
近年、幕末の姫君たちの運命を精力的に書きまとめられた岩尾光代さんの著作で知られることになるが、実は私自身、「ここにね、金沢のお姫様がお住まいになっていたんだよ」くらいにしか祖父母から聞いてはいなかった。その史実は親族内でのみ記憶の片隅に残す程度であった。
岩尾光代著「姫君たちの明治維新」(文春文庫)には、幕末期、運命に翻弄された姫君たちのそれぞれの物語が集められている。この写真の渼子さんの章では涙もこぼれた。
興味のある方にはぜひ読んでいただきたい。
尉子姫については私自身研究をしながら少しづつブログで紹介していきたいと思います。