新湊・内川の風景

放生津は海沿いに東西に長細く形作られた町で海辺は奈呉の浦と呼ばれる。奈呉の名の由来については諸説あり、当家には「中国の呉の国の風景に似ていることからこの名が付けられた」と述べた豊後出身の漢学者の文書が残っている。いずれにしても「奈呉」という響きからは、美しい広々とした風景が思い描かれる。

富山湾沿岸に襲いかかる寄り回り波は昔から地元住民を悩ませた。かつては広い砂浜が広がっていた海辺はだんだんと浸食され耐え難くなり堤防が築かれた。江戸時代からの波除け普請の文書が残ってはいるが、まだ目を通すことすらできていない。

この東西に延びた町にそって内川が流れている。
海と湖とを結ぶ不思議な川だ。湖は海龍湖とも放生津湖とも呼ばれ、幾筋もの川がそそぐその湖の景観は奈古の浦とともに有名であったとみえて、幕末、船遊びに多くの文人が訪れて詩を残している。今は富山新港として姿を変えた。

この内川の風景が、今では放生津の一枚の絵のような存在となっている。
家の前に係留した船に乗って漁にいく、
出漁船のエンジン音が明けやらぬ暗い空にこだまする、
昼下がり、のんびりとした音を立てて船がきしむ…

これほど愛しい風景はない。